出羽 蒲生田館でわ かもうだだて
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築城年代は定かではない。『沖郷村史』によれば文永2年(1522年)に蒲生右近大夫賞積ここに住み、その子は蒲生賞範とという。また『東置賜郡史』では文禄年間(1592年〜1596年)に蒲生氏郷の旗城であったとする。
蒲生田館は城主の菩提寺と伝えられる安養寺の南東に築かれていた。『山形県中世城館跡調査報告書』の復元図によれば、複郭の平城で本丸の北に北曲輪、西と南に帯曲輪があったという。現状では果樹園であるが、道から見ると若干の起伏を見ることができる。