弘安年間(1278年〜1288年)に屋代庄地頭大江長井時秀によって創建されたと伝えられている。
伊達家八代宗遠によって米沢の長井氏は滅ぼされ、伊達氏は近くの夏刈城を拠点の一つとする。戦国時代に活躍した伊達政宗と師弟関係にあった虎哉宗乙和尚は、この資福寺住職であった。
資福寺館は最上川に面した平地に築かれていた。正確には城館ではなく寺跡であるが、堀や土塁の一部が残されている。資福寺は伊達氏の岩出山移封にともない移っていった。
資福寺跡には9代伊達政宗(儀山)公夫妻の墓、16代伊達輝宗の墓、そして殉死した遠藤基信の墓が残されている。