出羽 朝日山城でわ あさひやまじょう

城郭放浪記


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出羽 朝日山城の写真
掲載写真数
形態
山城(124m/100m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
池田氏
歴 史

築城年代は定かではないが建武年間(1334年〜1338年)頃に池田氏によって築かれたと云われる。 池田氏は遠江国の豪族で池田源三郎快光は平頼盛に仕えていたが、文治元年・寿永4年(1185年)平家が壇ノ浦で敗れ、快光の子彦太郎秀盛と弟四人が庄内に落ちのびたという。

戦国時代の城主は池田讃岐守で所領百二十貫文で五十騎の大将であったといい、武藤義氏に仕えていた。天正11年(1583年)東禅寺が尾浦に背いたときには義氏に味方したが、義氏は自害し讃岐守の所領は没収された。しかし、その後間もなく所領を得て最上氏に仕え、本庄繁長が庄内を制圧したときには朝日山城には最上氏の家臣東海林が籠っていたが、激戦の末落城して東海林兄弟は最上へ逃れ、讃岐守は降伏して所領を安堵された。 天正17年(1589)上杉氏の検地に対して一揆となったとき、讃岐守は一揆方に助力して朝日山城は一揆方の拠点となったが敗れ讃岐守は最上の真室川に逃れた。

慶長5年(1600年)讃岐守は最上より戻って再び一揆を起こしたが酒田城代志田修理に敗れた。その後庄内が最上氏の所領となると志村伊豆守の家臣として百石を与えられたという。

説 明

城は八幡神社の東の山頂にあり、八幡神社の境内にも城郭遺構が残る。

楯山山頂部は東西に二郭あり、東部は東尾根を二重の堀で遮断して、南の頂部から北に向かって段々に削平地を列べている。西部は薮化している所が多く良くわからないが、頂部は広い削平地となっている。

八幡神社は神社背後の北西に伸びた尾根に数段の削平地が残っている。

案 内

八幡神社までは車道が付いている。ここから登ってもよかったのだが、一旦おりて、北側の谷にある太田神社から登った。太田神社脇を登って行くと砂防ダムがあるが、そこの南側から道が付いている。

最寄り駅(直線距離)
4.8km 砂越駅
6.2km 東酒田駅
6.9km 本楯駅
7.4km 北余目駅
7.6km 南鳥海駅
所在地/地図
山形県酒田市北沢字楯山
付近の城(直線距離)
0.9km 出羽 延命寺
2.8km 出羽 山楯
4.1km 出羽 山谷楯
4.5km 出羽 中北目館
4.8km 出羽 城輪柵
4.9km 出羽 漆曽根館
5.0km 出羽 砂越城
5.0km 出羽 観音寺城
5.3km 出羽 古升田楯
6.0km 出羽 本宮楯
6.0km 出羽 脇楯
6.4km 出羽 新田目城
7.0km 出羽 田尻館
7.3km 出羽 千河原館
7.5km 出羽 田沢楯
7.6km 出羽 磐井出楯
7.6km 出羽 進藤楯
7.7km 出羽 松山城
7.9km 出羽 蕨岡館
7.9km 出羽 宮内館
8.0km 出羽 中山楯
8.1km 出羽 西楯
8.4km 出羽 下黒川楯
8.5km 出羽 東楯
最終訪問日
2009年9月
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