詳細不明。慶長年間(1596年~1615年)の館主は進藤但馬守で亀ヶ崎城主志村伊豆守光安の家臣という。
進藤楯は冷泉寺の南背後、西へ伸びた丘陵に築かれている。
主郭は東と西をそれぞれ空堀で区画するが、尾根上を襟巻き状に高土塁として削り残し、内側を削平して曲輪空間とする。滋賀県の甲賀地方でよく見かける曲輪形状である。
主郭の土塁は北側を除く三方に設けられており、北西隅が虎口のようである。
東尾根は堀切で遮断しており、東側の尾根も階段状に削平されている部分があるが、城郭遺構なのか畑による開墾なのか判別が難しい。
冷泉寺の墓地に続く車道があり、中腹にある墓地の上に堀切が見えている。墓地まで車であがれるが、回転スペースはない。
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