築城年代は定かではない。
天正16年(1589年)本庄繁長が庄内を制した時には、上杉氏の家臣荒川玄備義次が城主となった。天正18年(1590年)上杉氏による検地によって勃発した一揆によって義次は討死し、その子孫は酒田に入部した酒井氏に仕えたという。
城は田沢川に楯山川が合流する地点の西の山に築かれている。
北の前衛部分には「神社様」と呼ばれる社があり、北の尾根に一条、南側を二重の堀切で断ち切っている。
南の主郭部分は広く段々と削平地が築かれており、中央に方形の土段がある。西側の谷間に居館跡と推測される方形の土段が残るという。
県道363号線沿いにある田沢小学校を過ぎて少し北上すると田沢川に架かる橋があるのでそれを渡る。橋を渡ったら直ぐに左折して山側を確認しながら南下すると斜めに山へ入って行く道が見付かる。これを登ると「神社様」に行くことができる。
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