築城年代は定かではないが、建武2年(1332年)斎藤新九郎俊氏によって築かれたと云われる。
出羽国司小野良実の後裔を称す斎藤新九郎俊氏(旭冠者)が南朝方の拠点として築いて北朝方に備えたと伝えられる。
慶長6年(1601年)山形の最上義光が庄内を領すと三千石を賜った北楯大学助利長が狩川城主となった。元和元年(1615年)一国一城令によって廃城となり、北楯大学は麓の下屋敷へ移り住んだ。
狩川城は狩川駅の南方、南の山塊から北へ張り出した丘陵に築かれており、現在は楯山公園となっている。
一度昼間に訪れたのだが、桜祭りと重なって駐車場に車を駐める事すら叶わず、日暮れ間近に再度訪れることとなった。
狩川城は公園化の影響なのか遺構は乏しい。南端を大堀切で遮断し、最高所に本丸を置いて北に二の丸、三の丸を配し北端に大手があったという。
庄内町歴史民俗資料館のほうに登っていくと館山公園の駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)