康暦2年・天授6年(1380年)佐藤伊勢守正信によって築かれたと云われるが定かではない。正信は陸奥国玉造郡柏山の城主であったが、出羽国に逃れ中山稲荷沢に館を築いて住んだという。応永4年(1397年)正信は田尻村で戦没し、子孫は帰農したという。
稲荷沢と総光寺沢の間にある西へ伸びた丘陵の頂部に築かれている。
南の稲荷沢から広い谷間の斜面を登って行くと東西に広い削平地がある。北側に土塁があり、南北で二重になって細い通路のようになっている所も見られる。
稲荷沢の「竹の茶屋」というお店の付近から道がある。たまたま開店前で作業していた方と話ができ、そのまま連れて行って頂いた。
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