築城年代は定かではない。
建久4年(1193年)頃の城主として土佐林右京守次正が伝えられる。 元弘3年(1333年)葉室光顕が出羽国司として下向、葉室光世、葉室光久と三代続いた。 その後は土佐林宮内少輔道俊が城主となり、土佐林能登守禅棟まで七代続く。
元亀2年(1571年)尾浦城主大宝寺義氏が藤島城の土佐林禅棟を攻め滅ぼし、弟の義興を藤島城主とした。天正11年(1583年)兄義氏が家臣の前森蔵人の謀叛によって果てると義興が大宝寺氏の家督を継いで尾浦城主となると、家臣の小国彦次郎が城主となる。
大宝寺氏が滅亡して上杉氏が庄内を治めると、栗田刑部、木戸元斎、安部氏重が城主となる。慶長6年(1601年)山形の最上義光が庄内を治めると、その家臣新関因幡守久正が城主となったが、元和元年(1615年)一国一城令によって廃城となった。
藤島城は現在の庄内農業高校と八幡神社の一帯に築かれていた。 八幡神社の境内となっている部分が本丸跡で東側に水堀が残り、それに面して北から東側に掛けてl字に土塁が残っている。
南側にある中町公民館前に駐車場がある。
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