築城年代は定かではないが永禄年間(1558年~1570年)頃に来次氏によって築かれたと云われる。
来次氏は奥州藤原氏の末裔とされ、はじめ八幡古館を居城としていたが、観音寺城を居城として築いた。
来次氏は庄内を巡る大宝寺武藤氏と最上氏との争いに巻き込まれていったが、来次氏秀のときに武藤氏を取り込んだ上杉氏に従うこととなった。
天正18年(1590年)来次氏はへ越後へ移り、変わって寺尾伝右衛門が入城したが、同年の検地一揆によって討死した。来次氏は江戸時代も上杉氏の家臣として存続している。
観音寺城は来次氏の菩提寺とされる円通寺の北背後の山に築かれており、西麓にある天降神社のところに案内板が設置されている。
比高50mほどの丘陵上に築かれており、大空堀で区画された南北二郭で構成されている。
南郭が主郭で一面の杉林となっており無数の平段が拡がっている。北側に大空堀がありそれに面して幅広の土塁がある。東側は自然の谷が入っており堀の役目を果たしている。
円通寺の西側にある畑のところからかつて道があったようで、昔はそこから上がっていたと畑仕事をしていたおばぁちゃんから聞いたが、道はすぐにヤブに埋もれて消滅している。
円通寺の墓地の辺りから取り付いて登るほうがヤブが少なく登りやすそうである。
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