築城年代は定かではないが平安時代末期に摂政家藤原氏の荘園「遊佐荘」に関する荘家として発生した可能性があり、奥州藤原氏滅亡後、鎌倉幕府によって留守所に設定され政治・文化の拠点となったと想像される。
室町時代にはこの地の豪族遊佐氏の居城であったと云われ、文正年間(1466年〜1467年)には遊佐太郎繁元は酒田城に入ったと云う。
圃場整備にともなって発掘調査が行われ、遺跡の一部が「大楯遺跡」として保存展示されている。
遊佐高校を目指す。高校の北側の道路を東へ進んで行くと右側の水田の中に案内が有るのがわかる。ここが遺跡展示場である。
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