築城年代は定かではないが土門氏によって築かれたと云われる。
戦国時代には板垣河内守が領し、武藤義氏に属して天正9年(1581年)には真室川に出陣したという。天正12年(1584年)には武藤義興のために仙北・草井で戦功があったという。その後、最上氏に仕えたが酒井氏が入部した後は、浪士となってこの地に住んだという。
城は月光川に沿って築かれていたという。現在東側に「古楯」、西側に「堀ノ内」の字名が残る。平成3年に圃場整備によって発掘調査が行われl字状の堀跡が検出された。しかし、井戸や中世に遡る遺物は発見されず、これは月光川の河川の変貌によって破壊されたためとも考えられる。
五分市集落の北側に神社があり、その近くに五輪塔が一基ある。この辺りが検出された堀の北端にあたる。農道に沿うように堀は南へ伸びていた。