築城年代は定かではない。文明年間(1469年〜1487年)に花尾城主であった麻生家延が蟄居して花尾城から竹ノ尾城に移り、後に岡城へ移ったと云われる。
永禄年間(1558年〜1570年)には麻生鎮里の居城で、本家筋の山鹿城主麻生隆実と争っていた。天正14年(1586年)豊臣秀吉の九州征伐で秋月方であった麻生鎮里は敗れ、竹ノ尾城も落城した。
竹ノ尾城は北西に伸びた標高175mの山に築かれている。
主郭は南端の最高所と思われ、南背後に横堀がある。ここから北西に伸びた尾根に広い曲輪が段々と続き、北東端はかなりの広さがある。この曲輪全体を囲むように横堀が巡っているのがこの城の最大の特徴である。この辺りの山城は畝状竪堀群が多く存在することは知られているが、横堀の城は珍しい。
市瀬から河内貯水地の方に登って行く林道があり、その途中に鉄塔がある。この鉄塔からさらに尾根先にある鉄塔に続く整備道があり、簡単に城内に入ることができる。
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