築城年代は定かではない。建武元年(1334年)北条相模守高時の一族規矩掃部助高政が、北条氏の再興を計って帆柱山に挙兵したが、大友氏・少弐氏の連合軍により落城した。
その後は花尾城とともに麻生氏の城であったが、文明10年(1478年)に起こった家督相続争い(花尾城合戦)で麻生遠江守家延は降伏開城して岡城に移った為、大内氏直属の城となった。
大内氏が滅亡した後は麻生氏が城主となり、毛利・大友に属している。永禄12年(1569年)毛利氏が立花城を攻めた時には毛利勢の本陣が帆柱山に移されている。毛利氏が九州より撤退した後は大友方の竹ノ尾城の麻生鎮里の持城となったという。
帆柱山城は皿倉山から西に派生した標高488mの帆柱山山頂に築かれている。北には花尾城があり見下ろす形になる。
帆柱山城は山頂に主郭があり、そこから西に向かって尾根伝いに曲輪が設けられている。主郭は東西に一段の削平地があり、東へ伸びた尾根には三条の堀切がある。主郭から西へ続く緩やかな尾根には階段状に小段が続いている。
西の尾根の先端部に長方形で三段の曲輪がある。南斜面には若干石積が残り、畝状竪堀群がその下にある。南へ伸びた尾根には弓なり状の堀切が二条設けられている。
帆柱山城に至る登山道はいくつかあるようですが、北側にある花尾城を経由して登るのがよいでしょう。
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