築城年代は定かではない。
応安5年・文中元年(1373年)九州探題今川了俊は南朝方の籠もる多良倉城と鷹見城を落としている。
多良倉城は標高622mの皿倉山山頂に築かれていたという。現在はテレビ塔建設の為に破壊されて遺構は残っていない。この皿倉山のある山塊には花尾城・帆柱城など多くの城郭が築かれている。
皿倉山山頂に登る手段は多く、ハイキングコースにもなっています。車道も山頂付近まで通じていますが、山頂付近は道も細く駐車場もほとんどないようで、一般的には帆柱ケーブルを使用して登るようです。
最寄り駅(直線距離)