豊前 三角城ぶぜん みすみじょう
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詳細不明。吉川城とともに永禄11年(1568年)に大友方となった長野氏の大三岳城、小三岳城を攻めた毛利方の吉川氏、小早川氏、益田氏の陣城群と考えられている。
三角城は標高437mの山頂部一帯が城域と考えられいたが、『福岡県の中近世城館跡』によって広大な陣城群であることが判明した。ここではその番号に従いa〜hまでの番号で位置を登録してある。
三角城aは標高437mの峰で北は吉川城に続き、東は大三岳城、南東は小三岳城と繋がる。
山頂を小規模ながら削平し、北、東に続く尾根に段曲輪を配している。