築城年代は定かではない。 古くは鎌倉時代から砦などに用いられていたようである。
慶長5年(1600年)関ヶ原合戦後に筑前国に入封した黒田長政は六端城の一つとして近世黒崎城を築き、家臣井上之房を二万石で城主とした。 しかし、元和元年(1615年)一国一城令によって廃城となり、その後元文3年(1738年)頃に新田開墾の為、護岸整備に石垣を転用したという。
黒崎城は黒崎駅の北東にある標高62.2mの道伯山に築かれていた。現在は公園として整備されている。
黒崎城は山頂に本丸を置いて北へ伸びた尾根に二の丸、三の丸を配しており、北から西の麓は海に面して舟入があったようである。廃城となった後に石垣の石材が転用され、その後も貯水地などが建設されており、遺構はあまり残されていない。山頂北にある駐車場に案内板があり、その脇にある大きな石材を使った石垣が現存する遺構、道路に面した部分にも石垣がある。また本丸の南東隅の石垣が見つかったが、治山工事されており、今後どのようになるのか不明である。
山頂に公園用の駐車場がある。
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