築城年代は定かではないが宗像大宮司清氏によって築かれたと云われる。 初代宗像大宮司清氏が築城し、以後代々宗像大宮司の居城となった。
宗像大宮司氏男の頃まではこの片脇城を居城としていたが、最後の大宮司宗像氏貞は大友氏との戦いにより白山城や岳山城、許斐岳城に籠もっている。
片脇城は宗像氏の菩提寺でもある興聖禅寺の西背後にある小山に築かれている。
標高104.7m、比高100m程の低い山で地形もそれほど急峻ではないが、山全体に切岸加工された曲輪や堀が巡らされている。似たような地形が続き竹藪で見通しが悪いこともあって迷子になりそうな山である。
主郭部を決めるのが難しい城であるが、城山の北東部、興聖禅寺のちょうど西の山上は南へ続く尾根を数条の連続堀切で断ちきり、急峻な斜面にもかかわらず畝状竪堀群を巡らせており、一番堅固な構えになっている。
城山の最高所である標高104.7m付近は南北に伸びた尾根に無数の削平地を設けている。大半の曲輪は狭く、山腹には雛壇状の削平地がついている。ここから東へ派生した尾根の先端部には秋葉社が鎮座しており、ここは特に秋葉山城とも呼ばれ、片脇城の出城といわれている。
興聖禅寺の南側に山腹にある墓地に通じる車道があり、その上には「色定法師入定之地」があり法師の石像がある。この先から山上に通じる道があり出城の秋葉山城に鎮座する秋葉社に通じている。
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