築城年代は定かではないが室町時代に大内盛見によって築かれたと云われる。 盛見は城主として高橋盛綱を置いた。
その後、古処山城主秋月氏の支城となり秋月二十四城の一つに数えられた。
長谷山城は千手川と泉河内川との間にある標高311.2mの長谷山山頂に築かれている。
長谷山城は北に大手、南に搦手があったという。主郭は山頂であったと思われるが山頂から東側は明瞭な平坦地ではなく緩やかな傾斜である。ただ東端部に低土塁が残っている。山頂から西側には細い平地が伸び西端にも低土塁が残る。山頂付近は東西に尾根が延びているが、東側の尾根には土塁の外側に二重堀切があり、この堀切は竪堀となって北側に落ちている。その先はやや平らな尾根が続き二重堀切がもう一箇所ある。西側の尾根には三条の堀切があるが、東側に比べ浅い。
長谷山の東麓、県道413号線沿いに長谷山登山道入口の道標があり、碓井笹原団地を抜けて舗装された林道を登っていくと登山口がある。長谷山の西側からも登山道があるようであるがこちらの入口は不明。
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