天正14年(1586年)に大友氏の家臣堀中務、軸丸大膳、鶴原因幡などによって築かれたと云われる。
天正14年(1586年)の島津氏侵攻に対抗するため、緒方の武士が高尾城などを築い立て籠もった。籠城兵200に対して、島津軍は伊集院美作守、白坂式部、伊地知民部少輔、平田新左衛門尉などが率いる3000の兵で攻め、落城したという。
高尾城は緒方町の総合運動公園の北側にある標高270m程の山に築かれている。
主郭は山頂にあり、南北に長く南端に土塁が付く。主郭部の切岸は低く、北尾根には段々と平段が続く。南尾根は自然地形の緩斜面となっている。東側面に数条の連続竪堀が付いている。
主郭の南端から西へ伸びる尾根沿いに土塁があり、その先に二郭がある。南端には櫓台状の土壇があり、北側に向かって伸びる曲輪の先端に土塁が付いている。
道は付いていないので、運動公園の北側にある野球場の先から山によじ登る。
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