築城年代は定かではないが大友能直によって築かれたと云われる。 豊後国守護職を代々務めることとなる大友氏の初代能直が、建久7年(1196年)豊後に入国しこの藤北に館を構え、以後三代この地に居たという。
藤北館は大友能直の墓と伝える五輪塔のある常忠寺の南にある丘陵に築かれている。 常忠寺は戸次氏の菩提寺でもあり、鶴賀城を巡る戸次川合戦で討死した戸次統常の墓もこの地に残る。
藤北館は常忠寺の南にあり、駐車場から常忠寺への道の左側にある丘陵部分と思われる。東から竪堀状の溝を登ると小さく段分けされた平段があり、西背後の尾根を堀切で遮断している。東の竪堀状の溝は竪堀ではなく参道の名残りであろうか。
ここから更に尾根を登った所にも東側に低い切岸、西に土塁と堀状の溝が残る地形があったが、背後の堀は完全に尾根を遮断しておらず、曲輪部分も緩斜面地形で城郭遺構とは断定できなかった。