築城年代は定かではないが戸次重秀によって築かれたと云われる。 戸次重秀は大友氏三代大友頼泰の弟である。
代々戸次氏の居城で十二代戸次道雪は後に筑前国立花城督となり立花道雪とも呼ばれた。道雪は立花家を継承する前に鎮連を養子に迎えて戸次家の家督を譲っている。
天正14年(1586年)鎮連の子戸次統常のとき、島津氏に包囲された鶴賀城を援護するため、豊臣秀吉が派遣した仙石秀久率いる四国勢を誘導して戸次川で島津軍と戦ったが、敗れて討死した。
鎧ヶ岳城は標高847mの鎧ヶ岳山頂に築かれていたと云われる。
標高847mと高く険しい山で烏帽子岳、日平山などと尾根続きとなっている山であるが、残念ながら明瞭な城郭遺構は残されていない。山頂部は東西両側がやや高くその間に若干の平場があるが、幅2m程のやせ尾根で曲輪と呼ぶ程の規模ではない。
一般的な登山者は四辻峠にある駐車場に車を駐めて烏帽子岳経由で尾根道を縦走するようであるが、南下を通って神角寺へ居たる林道沿いに駐車場があり、ここから登ればわずか10分足らずで山頂に行くことができる。(地図)
最寄り駅(直線距離)