延応2年(1240年)頃に一萬田氏によって築かれたと云われる。 一萬田氏は大友能直の六男時景(時直とも)を祖とする一族である。
一萬田氏は北に鳥屋城、南に小牟礼城を築いて守りを固めていたという。
この館には「黒染めの桜」という珍しい花があったため、天正元年(1573年)には主君大友宗麟もこの花を見にきた。このとき一萬田鑑実は花の木陰に仮屋を設けて二夜三日の酒宴を催したという。
一万田館は「館」集落の北方にある標高276mの台地の上に築かれていた。
館は広大で南北200m程の規模があり、館の北側には「御廟様の石幢」、その西側に南北に土塁が残る。この北側の木陰に案内板が設置されている。
南にある集落との境がそのまま木戸跡のようで、台地の内側には桝形とされる虎口状の小空間があり、土塁が残っている。