文化財指定
市指定史跡
遺 構
なし
城 主
緒方惟栄
歴 史
築城年代は定かではない。
豊後大神氏の一族緒方三郎惟栄の館跡とされる。
寿永2年(1183年)平重盛没後大宰府に逃れた平氏を、源頼朝の命により大軍をもって攻めこれを追い出し、この後平氏は壇ノ浦合戦に敗れ滅亡した。
元暦元年(1184年)惟栄は宇佐宮を焼き払う暴挙に出て流刑となった。しかし、平氏討伐の功によって文治元年(1185年)これを許された。
源頼朝と源義経が不仲となり、義経は九州へ退くこととなり、惟栄は義経を迎えに大物浦に出向くが、大風により船団は壊滅、義経と惟栄は捕えられ、惟栄は上野国沼田荘に配流となったという。
説 明
国道502号線沿いの空き地に堂々とした碑が建っている。
案 内
最寄り駅(直線距離)
1.3km 緒方駅
4.8km 朝地駅
5.7km 豊後清川駅
6.8km 豊後竹田駅
8.5km 玉来駅
所在地/地図
最終訪問日
2013年10月