詳細不明。『芸藩通志』巻百四、上津田村の絵図に「イナリ山」と記された山であるが、城跡との記載はない。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 』に未掲載でCS立体図で城跡のような形状を確認したので実地調査した結果、城郭遺構を確認したので、仮称 稲生山城として紹介する。
地元の方に確認したところ、山の名前は稲生山で城跡との認識はなかった。ちなみに三角点の名称も稲生山である。
主郭は最高所の北端Iで南西の尾根先に向かって曲輪II、IIIと続く。北背後の尾根は畝状竪堀群2、南西の尾根先は堀切1と竪堀1で遮断している。
主郭Iは中央が一段小高く北から東にかけて帯曲輪があり、淵は一部土塁状になる。南東部に祠を祀っている。この祠から南山腹に下っている山道は参道として整備されたものと思われる。虎口は明確ではないが、南西隅の幅広の土塁の脇からIIに下る虎口3が該当する可能性が高い。
曲輪IIは削平は甘く南が高く北が低い。南西端のあたりがやや高くなり南に虎口2を開く。虎口2は食い違いぎみの虎口で外側に石を張り付けてある。
曲輪IIIも削平は甘く中央が高く外側に武者走りがつく。虎口2は東辺の武者走りが出入りしていたと思われる。南端東側に虎口1を開く。虎口1は外側に小規模な虎口受け空間を持っているが、そこから下る道はわからなくなっている。
曲輪IIIの南端付近は土塁があり、西側には張り出しも確認できる。張り出しの外側、堀切1との間に小さな段が確認できるが、用途は不明。
稲生神社に駐車可能であるがここからは動物除けの柵があり開口部がないため入れない。東の民家の脇から北のため池に続く林道側には柵がないので、そこから北尾根に登っていくと簡単に主郭に行ける。