詳細不明。『矢掛町史』では「宝暦ごろの文書に渡辺左衛門幸久が城主とある。」としている。
瀧山古城は星田川が大きく蛇行して流れる位置に半島状に突き出した丘陵に築かれている。
北端が主郭部でで主郭I1には小さな社が祀られている。I1の周囲に小規模な腰曲輪I2、I3などがあり、北東側はかなりの急坂であるが、I5とさらに下にも一段の小規模削平地がある。I5は山側に溝が切ってあるが堀としては必要がなく雨水などが流れ込まないようにするような溝であろう。
主郭I1の南下に広い曲輪I4があり、主郭側の東西両端に竪堀3、4がある。単独の竪堀としては違和感があり、もともと堀切だったところを改修した結果であろう。南側には堀切2を設けて曲輪IIと区画する。
曲輪IIは南北に長い曲輪で城内で最も広い。南端には高土塁を設け、南尾根を堀切1で遮断している。東側に山道が接続しており虎口の可能性がある。この山道は堀切1の東下のあたりで消滅している。
南側から簡単に入ることができる。駐車場は橋を渡って少し進んだ所にある。
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