築城年代は定かではないが三村氏によって築かれたと云われる。
三村氏は三村家親の時に星田より成羽の鶴首城へ移り、その後は叔父の三村為親がこの辺りの城を守っていたようである。
天正2年(1574年)12月27日備中兵乱で小早川隆景の軍勢によって落城。城主は三村為親であったという。
金黒山城は北を除く三方に川が流れる標高374mの城山に築かれている。
単郭の城で北から攻められる事を想定した縄張りとなっている。山頂の主郭は南北に長く、北から東に掛けて土塁を配す。東西両下に腰曲輪があり、西はさらに下方に腰曲輪ivがあり井戸のような凹みがあり現在も水が湧いている。主郭の南側の曲輪vは緩斜面地形で南端には鉄塔があるが、この辺りは藪が多く詳しく調査できていない。
北尾根は四条の堀切と両側面に竪堀を配して遮断している。堀切は主郭下の堀切1と北端の堀切2が深く、間にある二条の堀切は浅い。曲輪iiは堀切に面して土塁があるが、曲輪iiiは土塁がなく、代わりに竪堀が深く遮断している。こちら側は主郭からも横矢が掛かる構造となっている。
城山の南麓に標柱と案内板がある。その直ぐ裏が登山口のように見えるがそこからは道がない。登山口は城山の西へ巡る道沿いにあり鉄塔整備道となっている。駐車場はないが南麓の案内板の近くが道が広くなっており駐車できる。
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