文化財指定
市指定史跡
遺 構
土塁
城 主
三村氏
歴 史
築城年代は定かではない。
三村氏の屋敷跡と云われ、「城の内」、「堀の内」という地名が残されている。
三村氏は三村家親の時、星田から成羽の
鶴首城へ移り、毛利氏の援助を受けて備中国一円を手中おさめ
松山城へと移り美作国、備前国へと進出したが、家親が宇喜多直家に暗殺され、元親の代に毛利氏と宇喜多氏によって滅ぼされた。
説 明
現在は畑と竹林になっている。
東側に一段低くなった所が「堀の内」と呼ばれ竹林となっているが、内部には倒壊寸前のプレハブと後世のものか石組みを伴う井戸跡のようなものがある。これより東側は更に低くなっており、ここが堀跡とは到底思えない。
ここと畑の境に土塁が残っている。
東側の山の中腹に見える墓地(高い木がある)の上の段には、三村氏の墓が残されている。
「岡山の山城を歩く(吉備人出版)」にも掲載されているのだが場所が違っている。
案 内
最寄り駅(直線距離)
7.0km 小田駅
7.7km 早雲の里荏原駅
7.8km 矢掛駅
9.2km 井原駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年11月