築城年代は定かではない。阿倍晴明在城の伝承がある。
永禄元年(1558年)備中守護職細川家の流れをくむ細川通薫が毛利元就の支援をうけて伊予から備中に入国し、青佐山城に入城、このとき青佐山城が築かれたとも云われる。その後、細川通薫は寄島竜王山城を経て鴨山城へ移ったという。
青佐山城は笠岡市と浅口市にまたがる標高249.2mの青佐山山頂に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭は山頂にあり、これを同心円状に曲輪II、IIIが取り巻いているが、曲輪IIIは北東の竪堀2によって分断されている。
曲輪群の周囲は竪堀を多数設けているが、西尾根からの登山道が上り詰めているところは、堀切4となる。そこから南側面に向かって通路状に伸び、曲輪IIIに登るルートがあるが、これは参道によるものだろう。この南側面に畝状竪堀群5となる竪堀群があり、井戸跡とされる素掘りの穴がある。堀切4からさらに下ると切岸加工されたところがあり、堀切6のようにも見えるがはっきしない。
東側は曲輪下を起点とする畝状竪堀群1があり、竪堀2は曲輪IIIを分断するように起点となる竪堀である。現在北からの登山道は東側面に回り込み、竪堀の間を登ってくるルート設定となっている。
北尾根側も堀切はなく竪堀3があるのみであるが、北へ伸びた尾根の先端部分に若干の加工された地形がある。ただ城郭遺構かどうかは不明である。
北の県道からの入口に登山道の案内がある。そこから集落内の道を南へ進んで行くと西登山口がある簡易トイレが見える。北尾根の北登山口は少し戻った民家の脇を登るルートなので、西から登って北から降りるルートがわかりやすい。
西登山道入口付近に1、2台駐車可能。
最寄り駅(直線距離)