阿波 姫田城あわ ひめだじょう
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築城年代は定かではない。城主は姫田佐渡守で、天正5年(1577年)三好長治が敗死したあと、これに殉じて自害したという。天正10年(1582年)中富川の合戦では姫田甚左衛門が討死している。
姫田城の位置は定かではないが、現在は大森の葛城神社の北東にある小さな姫田権現社の境内に石碑が建っている。この石碑は昭和57年に建立されたもので、「城主 姫田佐渡守忠介」と刻まれている。
『徳島県の中世城館』によれば、姫田権現社の他に西に150mほど離れたところにある大森荒神社も候補地の一つという。