城主は『阿波志』では板東肥後守、弟五郎右衛門に対して、『城跡記』では板東肥前守、弟五郎左衛門とする。
『古城諸将記』には「板東肥後守 小笠原氏、三百貫、紋松皮菱二竹ノ丸」とある。
板東肥後守、弟五郎右衛門は天正10年(1582年)中富川の合戦で討死したという。
『徳島県の中世城館』によれば阿波一宮 大麻比古神社の西にある標高146mほどの山が板東城の伝承地となる。同書によれば、北東方向の尾根に曲輪や堀切などの遺構らしき凹凸が認めれるが、この場所はシダの海を泳ぐような状態で詳細は不明とのこと。
今回は大麻比古神社への参拝がてら遠景を撮ったのみで山には登っていない。