詳細不明。大永7年(1527年)に武田方の白井氏を攻めた大内勢力と後詰にきた武田方の勢力が松笠山で合戦したという。
田原城2は松笠山付近に築かれていたという。
『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』には縄張図が掲載されているが、現状明確な城郭遺構は確認できない。
松笠山山頂には反射板が設置されているが、南北ともに自然地形で、南側は少し離れた位置に切岸のような地形が1ヶ所ある。
北尾根はかなり離れた標高331.0mの三角点のある松笠山北峰の南側に大きな堀切のような地形が確認できる。これを堀切とした場合、松笠山北峰が曲輪となるべきであるが、北尾根は自然の緩斜面地形が続いており、曲輪となるべきところが存在していない。
各方面から松笠山への登山道がある。一番近いのは東の蝦蟇ケ峠でそこまでなら車で上がることができる。
最寄り駅(直線距離)