詳細不明。『山城-広島市の文化財第20集-1982.3(広島市教育委員会)』によれば城主は小田村弾正または小田弾正と伝えられている。
『芸藩通志』には下古屋城の記載はないが、隣接する木舟山城の城主として阿曽沼家人の小田村弾正あるいは小田弾正があり、海田町史では木舟山城が小田村氏の詰城で下古屋山城が館城ではないかとする。
下古屋山城は船越公民館の北西にある丘陵に築かれている。
現在丘陵の周囲はコンクリートで覆われ、道路と宅地で囲まれている。北側の道路は堀切であったと思われる。
丘陵には上がっていないので内部は未確認であるが、『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』掲載図面では平場が6段描かれている。