安芸 河内城あき こうちじょう
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築城年代は定かではない。厳島神領衆大野氏の居城ともいわれる。
永正12年(1515年)銀山城主武田元繁が神領内に侵攻した時、河内城では戦わずに退き己斐城を取り囲んだが落とすことができずに銀山城へ帰還した。
現在は団地の造成によって南側が消滅しており、その規模はわからない。 僅かに北へ伸びた尾根に削平地が残っているが、ここも先端部分が削られている。