慶長8年(1603年)福島正則によって築かれた。 慶長6年(1601年)関ヶ原合戦後、尾張国清洲より安芸国広島五十万石に加増転封となった福島正則が、防長二カ国に減封となった毛利氏との国境に近い地に築いたのが亀居城である。
天守を揚げた近世城郭で、甥の福島伯耆守を城主とした。しかし完成間もない慶長16年(1611年)廃城となった。
亀居城は大竹市役所の西に聳える標高80m余りの山に築かれており、現在は亀居公園として整備されている。
関ヶ原合戦後に入部した福島正則が築いた近世城郭で、防長二カ国に減封となった毛利領に隣接する国境の城であるため、石垣造の堅固な城郭である。ただ、現状公園化によって改変されている部分も多く、石垣も積み直されている部分が多い。
亀居城は南西の山頂にある本丸から北東へ伸びた尾根に、二ノ丸、三ノ丸、有の丸、名古屋丸、捨の丸と続く。本丸の南東尾根にあるのが詰の丸。東の宅地になっている部分が鐘の丸。厳神社の部分が妙現丸である。
車の場合、大竹ic出口の北側、国道2号線黒川一丁目交差点から高速道方面に入って行くと亀居公園へ道標が出ている。公園に無料の駐車場があり、すぐ上が三ノ丸。
最寄り駅(直線距離)