築城年代は定かではないが大野弾正によって築かれたと云われる。
永正5年(1508年)大内義興の助力によって京へ帰った足利義稙に随行して上洛した桜尾城主藤原興親は、同年末に京で客死する。これによって厳島神主家を継ぐことを望んだ友田興藤と小方加賀守が跡目を争う事となる。大内義興はしばらく神主を置かずにいる処置を下したが、これに不満をもった友田興藤は大永3年(1523年)銀山城主武田光和等の安芸諸豪族を味方に付け桜尾城に自立する。大永4年(1524年)興藤と武田氏は陶尾張守・弘中下野守が在陣する門山城を攻めたが敗走する。大内義興・義隆父子は大軍を率いて安芸へ侵攻しはじめ勝山に陣を置き、後に門山城に陣を移して桜尾城に侵攻するが、吉見頼興の調停により和睦する。
城は宮島の対岸に聳える標高265.6mの城山に築かれている。
山頂付近は岩山で天然の要害となっている。山頂付近の岩には櫓を組んだ柱穴が多数残っており、「馬のたらい」と呼ばれる方形の穴があり水を溜めていたものと思われる。
登山道はいくつかあるようです。東麓にある大頭神社から妹瀬の滝を経て、県道289号線に一度あがり、そのすぐ先を降って滝山橋を渡った先に登山口がある。また、大頭神社の本殿の脇にも登山口がある。
最寄り駅(直線距離)