詳細不明。永正6年(1509)年頃に厳島神主家の後継者争いで新里氏が籠もったと云われ、友田興藤と神主家の後継者争いをした小方加賀守の居城であったとも伝えられる。
藤掛尾城は瀬戸内海に岬状に張り出した丘の上に築かれていたという。 標柱によれば、深い堀で区画された本丸と二の丸があったという。 現在は市街地となり、遺構はないが県道沿いに標柱が建っていた。
廿日市市役所前の県道247号線と国道2号線との交差点から国道2号線バイパス方面に登っていく側道脇に標柱がある。県道は国道2号線を高架橋で越えるようになっているが、標柱があるのは高架下である。
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