安芸 幾志山城あき きしやまじょう
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詳細不明。『芸藩通志』には「幾志山 狐城 並に小田村にあり、」と記されているのみである。
幾志山城は大歳神社の南西にある丘陵に築かれていたが宅地化によって消滅した。
周囲は宅地が広がり比高10mほどの独立丘陵のような形態であったが、もともとは松笠山と連なる丘陵の尾根の先端に位置していたという。
開発前は竹林として曲輪が一面残されていたが、宅地化によって消滅した。このときの発掘調査で曲輪が3つ確認され、土坑、溝、柱穴などの遺構を検出したが土塁などの構造物は確認できなかった。