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美作国府
岡山県津山市総社山陽道に位置する美作国は、延喜式の格付けでは上国・近国である。
国府跡は津山市総社にある国府台寺周辺とみられ、発掘調査によって国府関連と見られる遺跡が発見されている。現在、国府台寺の境内に美作国国府...
美作国分寺国史跡
岡山県津山市国分寺美作国分寺は津山市国分寺にある國分寺に隣接する地にあった。
現在の國分寺は天台宗のお寺で山号は龍寿山。承安2年(1172年)兵火によって焼失し荒廃していた国分寺は、元和9年(1623年)津山藩主森氏...
備前国府県史跡
岡山県岡山市中区国府市場山陽道に位置する備前国は、延喜式の格付けでは上国・近国である。
国府は国府市場周辺とみられ、周囲には「国長(こくちょう)」・「北国長」・「南国長」の地名が残っている。国庁跡とみられる場所には「国長宮...
備中国府市文
岡山県総社市金井戸山陽道に位置する備中国は、延喜式の格付けでは上国・中国である。
国府は賀夜郡に置かれており、現在の総社市金井戸付近と伝えられているが、未だに遺跡は発見されていない。
総社市金井戸に「伝備中国府...
備中国分寺国史跡
岡山県総社市上林1046備中国分寺は総社市上林にある日照山国分寺の境内一帯にあった。
今の国分寺は享保2年(1717年)頃に再建された真言宗のお寺で、五重塔(国指定重要文化財)がある。
国分寺の規模は東西約160m、...
美作国分尼寺
岡山県津山市日上美作国分尼寺については詳しく分かっていないが、国分寺の西側500m程で「人神」という地名が残されている所と推測されている。県道に「人神」というバス停があり、その東側に美作国分寺跡の標柱が建っている。
山中鹿介胴墓
岡山県高梁市落合町阿部山中鹿之介(鹿介)は出雲国の大名尼子家の旧臣で、毛利によって主家が滅亡した後、京都で僧となっていた尼子勝久を担ぎ再興軍を起こした。織田信長などの支援を受けて毛利に対抗したが、天正6年(1578年)播磨...
新九郎薬師堂
岡山県井原市神代町「新九郎薬師堂」は北条早雲が祀ったと伝えられる薬師如来像が安置されたお堂である。この薬師如来像の背中に「祈願主新九郎」と書かれており、これが北条早雲こと伊勢新九郎とされる。
薬師堂は伊勢氏の...
北条早雲と父盛定の墓(法泉寺)
岡山県井原市西江原町(法泉寺)北条早雲と父盛定の墓が法泉寺にある。法泉寺は高越山城主伊勢氏の菩提寺として古潤仁泉和尚が開山した曹洞宗の寺院である。この古潤仁泉和尚が北条早雲こと伊勢新九郎盛時の学問や武芸の師となった人物と伝えられる...
周匝池田家墓所市史跡
岡山県赤磐市草生周匝の池田家墓所は岡山藩の家老であった片桐池田家の墓所である。片桐池田家は初代が池田長政で、その子長明が主家池田光政の岡山転封によって二万二千石を領し周匝の地に陣屋を構えた。
周匝池田家墓所は茶...
水谷公廟所(定林寺)市史跡
岡山県高梁市和田町(定林寺)定林寺にある水谷公廟所は備中松山藩主初代水谷勝隆と三代水谷勝美の墓所で、二代水谷勝宗の墓は高輪・泉岳寺に葬られ、定林寺には位牌がある。
備中松山藩水谷家は三代勝美に実子がおらず、勝晴を末期養子に...
山崎家墓所(桂巖寺)市史跡
岡山県高梁市成羽町下原393備中成羽の交代寄合山崎家の墓所である。成羽には山崎家治が成羽藩初代として入部していたが、その後転封となり、三代の山崎治頼が夭折して無嗣断絶となった。しかし、分家であった山崎豊治が家督を継ぐことを許され...
成羽藩勘定所遺構市史跡
岡山県高梁市成羽町下原986江戸時代の成羽藩山崎家の勘定所の建物で、藩の重要な役所であった。
成羽藩勘定所遺構は成羽郵便局から北へ入った場所にある。
三村家親・元親の墓(源樹寺)
岡山県高梁市成羽町成羽(源樹寺)三村家親と三村元親は備中の鶴首城や松山城を拠点として活躍した戦国大名である。三村家親は安芸の毛利氏と結んで勢力を拡げたが、宇喜多直家によって暗殺された。その子元親も毛利と結んで勢力を拡げたが、毛利氏が...
天柱山 頼久寺国名勝
岡山県高梁市頼久寺町(頼久寺)頼久寺の創設は定かではないが足利尊氏によって各地に建立された安国寺の一つとして再興された。永正年間(1504年〜1521年)に松山城主であった上野頼久によって頼久寺の伽藍が整備され、頼久が没するとその...
山中鹿介の墓市史跡
岡山県高梁市落合町阿部5-1山中鹿之介(鹿介)は出雲国の大名尼子家の旧臣で、毛利によって主家が滅亡した後、京都で僧となっていた尼子勝久を担ぎ再興軍を起こした。織田信長などの支援を受けて毛利に対抗したが、天正6年(1578年)播磨...
真鍋島の石造宝塔県文
岡山県笠岡市真鍋島真鍋島の石造宝塔は現在、島の西端にある丸ノ鼻の岬の上に立っているが、もともとは頂上にあったが開墾のためにこの地へ移動したという。この石塔は平安時代末期から鎌倉時代初期に造られたものと推定されている。
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真鍋島の五輪石塔群市文
岡山県笠岡市真鍋島真鍋島の岩坪の墓地にある五輪塔群は真鍋氏代々の墓碑と伝えられている。
真鍋氏は平安時代末期から戦国時代末期まで在島した武家であったが、関ヶ原合戦によって所領を失ったと云われている。
真鍋島の五...
三村家親宝篋印塔(興善寺跡)
岡山県久米郡久米南町下籾三村家親は備中松山城主で毛利配下の部将として備中一帯に勢力を拡げていた。
永禄9年(1566年)興善寺で軍議中に宇喜多直家の放った刺客に襲われ横死した。当時としては珍しい鉄砲による暗殺であった。
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(伝)頓宮又次郎入道の墓
岡山県浅口市鴨方町六条院西太平記に登場する頓宮又次郎入道の墓と伝えられる宝篋印塔で、南の麓には館跡とされる頓宮又次郎入道の館と伝える土居遺跡がある。
ちなみにここの"頓宮"は"とんぐう"ではなく"はやみ"と読むようで...
毛利元清の墓(洞松寺)町文
岡山県小田郡矢掛町横谷(洞松寺)墓碑
三村元範終焉の地(早乙女岩)市史跡
岡山県新見市高尾(高尾小学校)史跡
戸川達安の墓(盛隆寺)
岡山県岡山市南区妹尾(盛隆寺)墓碑
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