三村家親と三村元親は備中の鶴首城や松山城を拠点として活躍した戦国大名である。三村家親は安芸の毛利氏と結んで勢力を拡げたが、宇喜多直家によって暗殺された。その子元親も毛利と結んで勢力を拡げたが、毛利氏が宇喜多直家と結んだため毛利を離反して織田信長などと結んだ。これによって備中兵乱と呼ばれる毛利氏と三村氏の戦いが始まり、天正3(1575年)松山城を包囲された三村元親は降伏して松連寺で自刃した。
源樹寺は永禄9年(1566年)三村元親が父家親の菩提を弔うために建立した寺院である。境内の北東側の墓地の一角に三村家親と三村元親の墓碑があり案内板が設置されている。源樹寺の庭園は小堀遠州が12歳のときに造ったものだと云われている。
三村家親と元親の墓は高梁の頼久寺にもあり、ここには元親の子勝法師丸の墓もある。