三村家親宝篋印塔(興善寺跡)みむらいえちかほうきょういんとう
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三村家親は備中松山城主で毛利配下の部将として備中一帯に勢力を拡げていた。 永禄9年(1566年)興善寺で軍議中に宇喜多直家の放った刺客に襲われ横死した。当時としては珍しい鉄砲による暗殺であった。
三村家親宝篋印塔は現在廃寺となっている興善寺跡の一角にあり、三基の宝篋印塔が並んでいる。