山城 水主城やましろ みずしじょう
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築城年代は定かではない。室町幕府奉公衆の水主氏の居城であった。
『大乗院寺社雑事記』に文明17年(1485年)10月19日条に「御厨子」に伊賀衆が籠もっていたことが記されている。応仁の乱で両畠山の争いで拠点の一つとして度々登場している。
水主城は法念寺の東側一帯、北垣内に築かれていたと考えられている。現在は宅地や田畑となって遺構は確認されていない。