文和2年・正平8年(1353年)に幡津次郎右衛門尉、三宅中村六郎左衛門尉によって築かれたと云われる。 二人は山名時氏の被官で稲岡城を築いてたて籠ったが国人一揆に度々攻められ落城した。
弘治年間(1555年〜1558年)頃には井上下総守、永禄年間(1558年〜1570年)頃には南部石見守宮斎が城主であった。 南部宮斎は永禄5年(1562年)田繩城主大塩長門守と戦って勝利した。
湯岡城は南川に沿って東へ張り出した丘陵の先端頂部に築かれている。 若狭守護武田氏の本城後瀬山城とは尾根続きの山である。
湯岡城は単郭の城で頂部に東西に長い曲輪があり、東下に北西側に土塁を持った曲輪と、北下に小郭がある。
国道27号線湯岡橋西詰から土手沿いの道を南下して宝積寺を目指す。その先に水道施設へ通じる車道があり、歩いて登ったが車でも十分行くことはできる。
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