若狭 次吉城わかさ つぎよしじょう
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詳細不明。天ヶ城主内藤氏の出城と考えられている。
次吉城は東の山から西へ伸びた尾根の先端にあった標高25mほどの丘陵に築かれていたが、現在は山ごと消滅している。
『戦国の若狭-人と城-』の掲載図面によれば、東西二段の曲輪があり、東尾根背後を二重堀切で遮断していた。
下の地図で「国土地理院(1974-1978)」を選択すると消滅前の山の航空映像が確認できる。