築城年代は定かではない。延文2年・正平12年(1357年)頃には安田城主として安田三河守信綱の名が残っている。安田氏は惟宗を祖とする。
信綱の後は益信、七郎次、親信、鑑信と続き、安芸城主安芸氏に属していたが、永禄12年(1569年)長宗我部元親が侵攻するとこれに降った。
鑑信の後は千熊丸、又兵衛、泰綱、弥次郎と続き、安田弥次郎は長宗我部盛親に従って関ヶ原合戦で戦功を挙げ、大坂の陣にも大坂方として参陣したが、大坂城が落城すると和泉へ逃れ、のちに剃髪して波斎と号した。
安田城は安田川の東岸にあり、南西に伸びた尾根の先端頂部の城山に築かれている。
主郭には神社が祀られ、西に虎口を開く。西下にある削平地は主郭への入口付近に土塁がある。現在の参道はこの土塁の付け根から入り、右へ曲って神社に達しているが、ここは後世に土塁を削ったものと推測され、もともとは西の曲輪へ繋がり、そこから主郭に達していたものと思われる。主郭の北側に土橋状の細尾根で繋がった張り出しがあり、細尾根の側面には石積がある。張り出しの付け根部分に堀切がある。
主郭の東側は大きく堀込まれ尾根と切断している。そこから東へ伸びた尾根に一条の堀切があり、その先は平坦な面があって堀底状の道が続いているが城域からは外れている。
周囲には「射場」、「城」、「馬場先」、「城様」などの地名が残る。
城山の西麓にある民家の脇から山に通じる道が有る。
最寄り駅(直線距離)