詳細不明。津野氏が姫野々城を築く前に居城としていたという。
天正14年(1545年)津野基高のとき、土佐一条氏や援軍となった佐竹信濃守久礼、福井玄蕃らの大軍に攻められ、姫野々城とともに新土居城も落城した。
新土居城は滝山と呼ばれる標高190mほどの山に築かれている。
3つの峰に曲輪があり城域は広いが、曲輪が点在しているだけで連携は乏しく比較的古い時代の縄張である。
主郭はIかIIかはっきりしないが、山頂とされるのは三峯様と呼ばれる祠が祀られた曲輪Iである。周辺尾根より切り立って高くなっており天然の要害地形で、南北二段に削平している。明確な堀切にはなっていないが、両方とも尾根を削った地形になっており堀切があった可能性はある。
曲輪IIは西尾根先端になり、周囲は南から西は急坂になっている。東尾根には堀切2、北尾根には浅い堀切1が確認でき、立地からも主郭であっても問題ない。
曲輪IIIは削平しているものの曲輪II、曲輪Iに続く尾根とは段差もほとんどない。唯一北尾根のみ堀切3で遮断しており、この堀切はこの城で一番大きい。
三峯様への参道は南東尾根側から続いているようだが入口は未確認である。ちなみに南東尾根の麓部分は津野之高の菩提寺永林寺跡がある。
西の山腹に珠玉庵跡があり、その上にある墓地から尾根伝いに登った。
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