築城年代は定かではない。今川氏の家臣庵原氏の城と考えられているが定かではない。
永禄11年(1568年)駿河国に侵攻した武田信玄の城となると、今川の旧臣で武田氏についた朝比奈駿河守信置が庵原を領して庵原山城を居城とした。天正10年(1582年)武田氏滅亡の際に大軍に攻められ落城し、朝比奈信置父子は庵原館にて自刃したとも戦死したともいわれる。
庵原山城は山切川の西岸にあり、川に沿って南へ伸びた尾根に築かれている。
現在城山の西側に新しい高架橋の道路(新東名?)が建設されており、それによって一部破壊されているようである。
西と北に堀切を設けていたようであるが、西側の堀切は道路建設によって残っていないようである。曲輪は南の尾根先に向かって伸びており、段は低い石塁によって区画されているようである。