駿河 北脇城するが きたわきじょう
△トップに戻る
今川氏の部将北脇喜十郎光定の居城であったが、永禄11年(1568年)武田信玄の駿河国侵攻により高橋城とともに落城したとされる。
白髭神社から西脇寺一帯に北脇城があったとされるが遺構は残っていない。 本丸は200m四方で8mの濠が巡っていたと伝えられ、付近には「大屋敷」・「風呂の段」の小字が残っている。