庵原氏の館とされる。庵原氏は土着の武士のその出自は諸説あり定かではない。
今川氏に属し明応年間(1492年〜1501年)には庵原周防守、天文年間(1532年〜1555年)には庵原左衛門、永禄年間(1558年〜1570年)には庵原美作守元政の名が残る。今川氏の重臣で庵原山城に籠もったとも考えられている。
庵原館は清水庵原小学校の西側一帯にあったとされ、「御屋敷」・「小屋敷」・「成街道」・「下町屋」などの地名が残るが遺構は残っていない。
永禄12年(1569年)庵原山城主朝比奈駿河守信置によって造営されたという北方にある一乗寺には庵原氏のものとされる五輪塔が残っている。