明応・文亀年間((1492年〜1504年)頃に築かれたとされるが定かではない。
築城当初の城主は関口越後守とされる。永禄13年(1570年)正月小原肥前守鎮実(大原肥前守資長とも)の守る花沢城を武田信玄が攻めた。守将小原鎮実は武勇に長けた武将であったため武田方の攻撃をよく防いたが次第に押され開城した。
花沢城は西駿河から駿府に至る日本坂の西の入り口にある要衝に築かれている。
山頂の北側の曲輪は南北に長くここに社と石碑が建っている。北側には一段の腰曲輪があり、その付け根に土塁が残る。南は堀切を隔てて東西に延びた曲輪があり、西側部分は茶畑となっているが放置されているのか背丈ほどに伸びている。
国道150号線新日本坂トンネル西出口から二つ目の信号高崎交差点を北へ曲がり高速道路の高架下を越えて城山の西の峠にある五差路に至る。ここの峠を少し北側に下りたところに標柱が建っている。この五差路を東側に進むとすぐに左右に道が分かれるがこれを右へ進み、その先にあるカーブの所に貨物レールの先端が谷筋に伸びている所がある。ここが入り口で途中茶畑を通り山頂に至る道がある。
最寄り駅(直線距離)