築城年代は定かではないが室町時代初期に岡部氏によって築かれたと云われる。 岡部氏は藤原南家工藤氏の末裔で清綱は駿河権守の任期が切れても京へ戻らず岡部郷に土着して岡部氏の祖となったという。
天文5年(1536年)今川氏輝が急死したことに起因して起こった家督相続争い(花倉の乱)で、岡部左京進親綱は恵探方が占拠した方上城を攻め落とし、ついで花倉城も攻め落として功をあげた。
天正16年(1588年)岡部氏は関東に移封となり廃城となった。
城は潮山の北端の小山に築かれており、現在は主郭の南東下に朝日稲荷神社が奉られている。
主郭は山頂で南東を除く三方に低土塁が残され、北東側は幅広である。